雨上がりの虹を、町に。 ——「ふれあいラジオ 雨上がりの虹」がつないだもの(5/5)

  1. イントロダクション
  2. ふれあいの集い
  3. 公開収録
  4. 出会いと変化
  5. つながりの存在を発信する

 

(5)つながりの存在を発信する

気がつくと追い詰められていた

2017年12月、高崎さんが体調を崩しました。11月の放送はこれまで通り一人で行いましたが、その後調子が悪くなり、アサダさんも加わって今後の進め方を検討することになりました。ラジオだけがその原因ではないものの、ラジオ番組を作ることが、大きな負荷となっていることは明らかでした。

最初から高崎さんは番組作りのほぼ全てを一人で(金井さんのサポートはありますが)やってきました。まずは50分の番組の中で何分何をするかという構成を書いたキューシートを作成します。そして、流したい音楽を選び、インディーズの楽曲なら制作者に使用許可を取ります。高崎さん自身が話しているようにもっとも大変なのが台本を書くことです。アドリブが苦手な高崎さんは、アドリブのようなコメントも含めて全てきっちりと書いた台本を用意していました。番組が始まった頃に金井さんが「こんなにやってこなくても大丈夫だよ」と言ったほど、キューシートも台本もきっちりと作成していました。収録では、パーソナリティとして話す、音楽を流す、音量の調整をする、録音後は編集をするところまで一人でやっていたのです。

荻沢さんや秋庭さんからすると、その頃の高崎さんは、ラジオの制作に没頭しているように見えていました。「回を重ねるごとに慣れてきて、話す内容や言葉遣いには哲学的な雰囲気もあり、毎回感動しています。だんだんプロっぽくなってきた」と荻沢さんは感じていました。しかし、アサダさんは自身のラジオ番組制作の経験から「台本をきちっと書いて曲を選ぶのは作品制作に近い世界。一人で全部をやるモノローグ的な方法だと、どんどん哲学的になるし、毎回大きな宿題を出されているのと同じ。追い詰められていくのも不思議ではない」と考えていました。また、「高崎さんはあの方法でやりたいんだと思っていた。でも、見方を変えると、あのやり方しか知らなかっただけ。しんどかったんだろう」と思い、高崎さんにもっと自由な制作方法を提案することにしました。

調子が悪くなってしまった高崎さんと職員のやりとり。

高崎さんが作成したキューシート。これの他に、原稿も作成していた。

出来ないなら出来ないなりにやってみる

今後の進め方についての話し合いには、高崎さんも参加し、2018年1月と3月の放送はアサダさんがピンチヒッターとしてパーソナリティを務めることが決まりました。1月分は、12月29日に、アサダさんとあめにじに加わったばかりの戸井田雄さんが、高崎さんと一緒にコミケへ行き、その道中でレポートを収録。それを中心にアサダさんが構成したものを放送しました。

大きく状況が変わった中で、どのように番組を作っていくのか、2017年度のあめにじが掲げる「町に」をどのように実現するのか、そもそもメインパーソナリティ不在のまま続ける意味があるのか。さらには、目前に迫ってきた次の1年をどのように取り組んでいくのかも含めて、密度の高い議論が繰り返し行われました。

戸井田さんは、状況を探りつつより客観的にこの状況を見つめていました。やはりラジオを続けたい、でも調子が悪くて自分ではできないという高崎さんに、「やりたいならやりたいと言ってもいいし、やれないなりにやれる方法を考えたらいいんじゃないか」と伝えました。このことは、続けていいのかどうか迷う荻沢さんや秋庭さんたちの心も少し軽くするものでした。

1月の収録直後、アサダさんは関係者へ送ったメールの中で、これまでの議論で見えてきた、あめにじの有り様を以下のように書きました。

——そもそもこのプロジェクトは、高崎くんという「個人」をきっかけに、その個人の「表現」(この場合、音楽に対する思いや彼の言葉)がラジオを通じて社会化されていく。そのことを「支える」ことは障害福祉分野における「就労移行」や「地域移行」を包摂するような、広い「支援」になるだろう。そしてそれをひとつのモデルとして考えながら、発信していく。

そのメッセージは、いわゆる福祉関係者や当事者だけでなく、この「まち」(それは一旦、広くまだ曖昧かもしれないが「熱海」として)で豊かにのびのびと楽しくつながりながら暮らしていきたいと思っている多様な市民にとっても必要になるのではないか。

そして、さらに具体的にはこの「まち」を面白くしたいと願って活動しているまちづくり実践者たちとつながることで、高崎くんの「個人」から始まった「表現」が領域を超えてより「公共性」をもちえるだろう。——

コミケ会場の大行列に並びながらラジオ収録をする高崎さん(左)とアサダさん(右)。

熱海ふれあい作業所の送迎車の中で放送する楽曲を選ぶ高崎さん(左)とアサダさん(右)。

[福祉][文化]ではなく[福祉・文化]としてのあめにじ

アサダさんは、また、この一連の出来事や議論を次のように捉えました。

——世間一般で「多様性」という言葉がもてはやされ、福祉業界では「共生社会」が謳われ、文化政策でも「ソーシャルインクルージョン」が強く意識されている現代において、ここにとても大切なことが含まれている——

体調を崩し、予定とは異なる状況になるというのは、誰にでも起こり得ることであり、障害の有無がその要因ではありません。高崎さんが体調を崩したことで、荻沢さんをはじめとする多様な人々がよりつながりを強くし、この状況に向き合っているという事実こそが重要なのではないか。だからこそ、このプロセスを記録しようということになりました。

3月に入り、当初2020年まで継続するはずだったブンプロが、2018年度で終了するというニュースが飛び込んできました。2018年度についても、改めて計画書を作成し、応募の手続きを取らなければならない。そこで、まずは2017年度の三つの目的を軸に現状を整理しました。

1.当事者によるひきこもりの若者支援(ぴあサポート)

高崎さんがパーソナリティを務めることで実現しており、番組内では自身の障害についてや、熱海ふれあい作業所のことを紹介してきた。

2.当たり前に人同士の関係がもてる地域づくりに向けた一般理解促進

公開収録など一般に向けたイベントなどは実施しなかったが、多様な人とのつながりができた。例えば、熱海でまちづくりに取り組む戸井田さん、沼津・伊東で長年ピアスタッフとして活動を続ける竹内晃さん(アドバイザーとしての関わりを打診中)、熱海で文化活動を実践する古原彩乃さん(2018年3月放送のゲスト)などとの出会いがあった。

3.障害者の仕事の多様なあり方提示

ラジオという表現を選ぶことができたのは、高崎さん個人の興味関心が合致したからであり、特殊な例と言える。しかし、個人の興味関心(あめにじにおいては、文化的なこと)にスポットを当てることから始まる支援の可能性を提示することができた。

熱海で文化活動を実践する古原彩乃さん(左)をゲストに招いた。

「多様なつながりの存在」をラジオから発信する

何度も議論に上がったのは、高崎さんという存在ありきのラジオなのか、果たしてそうではないのかということでした。荻沢さんが最初から抱いていたのは、「ふれあい作業所を地域へ開いていきたい」「熱海の障害福祉についてもっと興味関心を持ってもらいたい」という思いでした。きっかけは高崎さんと金井さんの出会いでしたが、一人のために取り組んでいるのではないと考えていました。だからこそ、“文化プログラムとして”継続する必然性については疑問に感じることもありました。ふれあい作業所という小さな施設では通常の仕事で手一杯の状況です。その中で文化プログラムに取り組むという理解を得るのも難しい。荻沢さんや秋庭さんの理解の範疇を超えるのであれば、2018年度の継続は諦めようと考えていました。

一方で、多様な人々とのつながりが高崎さんや自身に変化をもたらしたことも感じています。「今後、ブンプロがどうなるかは分からないけれど、せっかく出会ってしまった楽しい人たちと何か出来るのであれば、どんなものでも掴みたい」と秋庭さんは言います。高崎さん自身も「今までのように全部を自分でやることはできないけれど、ラジオは続けていたい、裏方に回って関わりたい」と継続を希望しています。ラジオを通して出会った人と、つながり続けていきたいという思いがあるのかもしれません。

煮詰まる議論の中から出てきたのは、メインパーソナリティとしての高崎さんは不在のまま「ふれあいラジオ 雨上がりの虹」を続けることです。そうすることで、返って多様なつながりの存在がより浮かび上がるかもしれないということでした。高崎さんにつながりのある多様なゲストが次々と登場し、高崎さんのことを語る。一歩外の社会に出て調子が悪くなってしまったけれど、こんなにたくさんの仲間がいることで安心して暮らしていけるかもしれないと思える。仲間がいることが希望となり、生きることに希望を与えられるのではないか。そんなつながりが見えるようなラジオを継続しようという方向性が定まり、2018年度も応募することが決まりました。