雨上がりの虹を、町に。 ——「ふれあいラジオ 雨上がりの虹」がつないだもの(3/5)

  1. イントロダクション
  2. ふれあいの集い
  3. 公開収録
  4. 出会いと変化
  5. つながりの存在を発信する

 

(3)公開収録

夢に近づけるかもしれない

——エフエム熱海湯河原からお送りしている、熱海ふれあい作業所のラジオ「ふれあいラジオ 雨上がりの虹」。みなさん初めましてパーソナリティの高崎史嗣です。このラジオは通称“就労B”の利用者である障害者がラジオの作成、放送を試みた番組です。今回、私は初めてラジオの収録・放送を行うことになりましたが、現在緊張感で溢れています。障害者がラジオの放送をするというのはあまり聞いたことがなかったので悩みましたが、なんとか頭の中で一つの形になりました。今日はそんな形となった「ふれあいラジオ 雨上がりの虹」をお送りしていきます。(2016年7月の放送より)——

2016年7月、高崎さんにとっても、ふれあい作業所にとっても初めてのラジオ番組がエフエム熱海湯河原で放送されました。今回限りだと思っていた荻沢さんの予想に反して、番組はその後も継続することが決まりました。しかし、ふれあい作業所の仕事として続けるには、高崎さん自身の意思や費用のことなどを整理する必要がありました。ちょうどその頃、静岡県文化プログラム(以下、ブンプロ)の実施を知り、荻沢さんはこの枠組みでラジオが継続できるかもしれないと考えました。

荻沢さんは高崎さんがふれあい作業所に通い始めた頃、「工賃を貯めて声優の学校に行きたい」と面接で話していたことを思い出します。声優の学校へ行くための工賃を貯めるにはとても時間がかかるけれど、ラジオの番組でそれに近い体験ができるかもしれないと考えたのです。

高崎さんの夢に近づけるかもしれないという思いと、ふれあい作業所のことや障害福祉のことをより多くの人に知ってもらいたい、より開いた施設にしていきたいという思い。荻沢さんの中でそれらの思いが重なり、「こんなプログラムがあるけどラジオを続けてみないか」と高崎さんへ打診しました。

エフエム熱海湯河原のスタジオで番組を収録する高崎さん。

ラジオはやりません

予想に反して「ラジオはやりません」と、高崎さんはきっぱりと断りました。趣味に割く時間が減ることが懸念されたこと、静岡県の事業としてしっかりとやり切る技量が自分には無いと高崎さんは考えていました。そこで荻沢さんは、秋庭さんからもう一度ラジオの件を伝えてもらうことにしました。一人が伝えて聞いてもらえなくても、別の人が言えば伝わることがあるのでこの方法は福祉の現場でよく使うそうです。

秋庭さんは送迎車の中で、高崎さんに「ラジオをやっているなんて、同じ精神障害のある人たちにもすごいと思われるよ、きっと」と改めて伝えました。すると、高崎さんはラジオを続けることを決め、荻沢さんと秋庭さんはブンプロに応募するための申請書作成に挑みました。

応募のきっかけは高崎さんの夢に少しでも近づけたらという思いですが、理由はそれだけではありませんでした。世の中では障害のある人と接する機会がない、知らない人は依然として多く、何かを一緒にやっていく機会も少ない状況にあります。ふれあい作業所は障害者施設で、どんなことをしているのかをもっと地域の人に知ってもらい、より身近な存在になりたい。コミュニティFMは地域に密着したラジオ局なので、一日中流している喫茶店や会社もあります。偶然耳にした人が「障害者がやっている番組だ」「熱海ふれあい作業所ってどんなところだろう?」と興味を持つかもしれない。荻沢さんの中には「大きな声で直接訴えかけるのとは違って、障害者はどこにでもいて、みんなと変わらないんだよということが耳障りよくラジオから入っていったらうれしいな」という思いがありました。

そして、無事に企画が採択され、2016年9月から「2020年オリンピック・パラリンピック文化プログラム静岡県推進委員会モデルプログラム」としてのラジオ番組制作と放送が始まりました。

「ふれあいラジオ 雨上がりのにじ」特設サイトで過去の放送を聞くことができる。
http://ameniji.atamifureai.com/

作業所の大改修

ブンプロへの応募を進める一方で、ふれあい作業所は古くなった建物の大改修を進めていました。工事現場の仮設事務所のような建物は、老朽化が進み、設立当初から大幅に増えた利用者と職員を支えることが難しくなっていました。ふれあい作業所が力を入れている給食も、当時は4畳ほどのコックピットのようなキッチンで作っていました。2階を歩くと床が揺れるなど、危険な状態だったといいます。

設計はMNoKa Architects(ミノカアーキテクツ)の牧野宏一さんです。牧野さんは、沼津にある福祉施設の建物も手がけており、荻沢さんはその施設を見て「作業をする時のことや、職員の思いなどがすごく込められている建物」だと感じたと言います。牧野さんは2017年1月の放送にゲスト出演し、次のように話しています。

——最初の打ち合わせが2015年9月15日。かれこれ週1〜2回、一年半くらい通って、2016年11月に完成しました。(中略)環境がとても良い場所だと驚きました。135号線沿いで、初島がよく見えて、山も近くにあって。海と山が近くで両方を感じられるのはとても熱海らしい場所だと思ったんです。(中略)[給食用に]網代漁港から魚をもらってそれを捌くとか。荻沢さんのご実家が八百屋さんだったことで、食材に対するこだわりもあり、いつも私も食べていましたが、手が込んでいて、いろんな食材をおいしく摂れるように工夫され、それもとても良かった。(中略)改修工事では5.3mのオープンキッチンにして厨房器具を横一列に並べて動線をよくしました。改修後はお盆を持ってみんなで並んで順番に自分で食事を取りに行くというスタイルになっています。調理員さんも前はみんなの様子が見えなかったのが、オープンになったことで声をかけながら調理できるようになったと。これはうまくいったと思っています。——

改装の費用を補うためのクラウドファウンディング「脱!障がい者施設らしさ・耐震・仲間と同じ釜の飯リノベーション」は目標金額を達成。およそ二年の月日を経て生まれ変わったふれあい作業所は、2017グッドデザイン賞を受賞しました。(改修工事は静岡県文化プログラムの事業ではありません)

改修工事では外壁も貼り替えた。

新しくなった建物。海側の大きな窓からは初島が見える。

新しくなったふれあい作業所で公開収録を実施

あめにじのアドバイザーとしてアサダワタルさんの参加が決まったのは、本格的な改修工事が始まる直前でした。アサダさんは全国各地を飛び回り、障害福祉やまちづくりなど様々な分野で文化活動を展開しているアーティストです。2018年3月までの約4年間「Glow〜生きることが光になる〜」(KBS京都)というラジオ番組のパーソナリティを務めていました。アサダさんは2017年1月に、あめにじとの関わりについてFacebookで次のように書いています。

——僕は“ラジオ”、“音楽”、“福祉”という珍しい組み合わせのキーワードのそのどれにもあてはまる実践をしている人ってことで、この取り組みをより面白く社会化していくためにプログラムアドバイザーとして関わり出してます。(中略)この数ヶ月で、高崎くんの番組作りのスキルや意識が高まっていることはもちろんのこと、実はいろんな動きが連動していて。まずふれあい作業所自体が、ものすごくかっこよくリノベーションされて(中略)生まれ変わりました。(中略)そして、エフエム熱海・湯河原さんも熱海駅にサテライトスタジオがもうすぐ完成。こうやって、施設、ラジオ局、そして高崎くんのラジオを通じた表現が今後どのように絡まって、この熱海の地で新たなコミュニティが編まれていくのか、一歩一歩並走しようかと。——
荻沢さんや秋庭さんにとってアサダさんの最初の印象は「少し謎の人物」だったそうです。一方で、ブンプロコーディネーターの鈴木一朗太さんは「こんな実践をしている人(福祉と文化に関わるラジオの経験がある人)はアサダさんしかいない」と話しています。

この頃、企画していたのがラジオの公開収録イベントです。公開収録は、新しくなったふれあい作業所で、2017年3月7日(火)に開催しました。それまで高崎さんは、エフエム熱海湯河原のスタジオで金井さんのサポートを受けながら収録を続けていました。しかし、この日は50名ほどの観客を前にしてアサダさんと二人での収録。事前に何度も練習し、当日も緊張の中、無事に収録を終えました。一番近くで収録する高崎さんを見つめていたのは、ふれあい作業所の利用者のみなさんでした。彼らは同じ作業所に通う高崎さんが一人でラジオ番組をやっていることをとても応援しており、いつも送迎車の中ではラジオの話題で持ち切りでした。

公開収録で放送の準備をする高崎さん(左)とアサダさん(右)。

「ふれあいラジオ 雨上がりのにじ」のファンが詰めかけた。

改修工事中の写真を展示し、手作りサンドイッチなども用意された。

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